写真を撮られても、自分をさらけ出すことに躊躇した子ども時代
昔は、周りに嫌われるのが怖くて、顔色をうかがって言葉や行動を選んでいました。
自分の軸がなく、周りに認めてもらいたい一心で、優等生を演じていた子どもでした。
家族写真を撮られるときは、自分をさらけ出したくなくて「笑ったら負け」と思っていた私です。
意識医学®に出会うまでは、「顔面幸薄女」
仕事や人間関係、自分自身に疲れ果て、体も心もボロボロでした。
立ち止まりたくても立ち止まれず、体と心のバランスを崩していました。
なんとか病名をつけて欲しい、ドクターショッピングを繰り返していました。
当時、言われてショックだった言葉は「幸薄そうな顔だね」でした。
意識医学®に出会った瞬間の衝撃
メンターとの出会いが、まさしく「ビビビっ」!
電撃的で、かつ懐かしい、やっと辿り着いた、そんな出会いです。
自分でも不思議でしたが、「やっとこれで大丈夫」その安心感と共に、涙が溢れました。
意識療法士®をとること
これまで作業療法士という国家資格で働いていましたが、なんとなく、人が本当に変わるのにもっと根本的なことが必要だと感じていました。
そんなときに意識医学®に出会い、治療を受けて2回目で、資格をとることを決めました。
そこに迷いはありませんでした。
直感で、「求めてたのはこれだ」そう確信があったからです。
常識崩壊な意識療法士®スクール
今まで、人と違うと悩んできた自分の感覚を、包み隠さず話が出来る、初めての仲間でした。
こんな興味深い勉強会が今まであっただろうか?!と思うほど、常識が崩れ、楽しい時間でした。
卒業後はすぐに。
卒業して、仕事を辞め、1ヶ月の短期留学でニュージーランドに行きました。
その後、東京で開業しようと決め、スーツケースひとつで上京しました。
実際開業するまでは、浅草近くのシェアハウスに住んで下町を味わったり、工場や飲食店など、経験したことの無いアルバイトをしたりしながら過ごしました。
ここでの貴重な経験や出会いは、わたしにたくさんの気づきを与えてくれました。
時折感情の波に揺さぶられながらも、メンターである図師修先生や先輩である桐原智美先生、意識療法士®の仲間たちに支えられながら、少しずつ前を向き、自分を信じることができるように変わってきました。
今では、人とのつながり、生きていること、すべてに対して感謝の気持ちを持てるようになりました。
未来へ向かって!
わたしを変えてくれた、意識医学®。
宇宙の真理「すべては一つ繋がっている」は、根拠や理論ではなく、本当にすべてに通じるものです。
まずは自分を幸せにする、そんな女性が地球上に溢れ、そしてそこから世界中、いえ、宇宙中に広がり、100年後、200年後の未来が、不安や恐怖のない、みんながいつも笑って穏やかに、そして希望や幸せに満ちた元気いっぱいな世界になるように、1人1人を大切に、想いを伝えていきたいです
関東支部 東京都
スピリチュアル写真コーチング整体
かげひかったじ~
永田千尋(CHIHIRO)
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